■ 虚考、うぃる。【Mixed Media Arts Production CATTER'Z EYE & Harasawa Gukken weblog】 ■

終わってしまった夏休み 終わらない夏祭り

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あっりゃあっ、ヤフミくん引退しちゃったのだね。

しかもコミュニティまで消してしまって。何か、偶然知ってしまったのだけれどもさ。

いや彼の放送を見ていたわけじゃないんだが、でも、ニコニコの趨勢はそれなりに学んでいた人間なので、見ていなくても有名人は名前くらいは知っているんだな。生主と言えば、少し前によっさんって深夜の人気生主も、放送を長期中断させたまま半引退状態なのだっけ。彼の放送は一時期見ていたなぁ。生放送って、一度尻に着火するともう火達磨になって灰塵と帰すまで止まらない、って印象だ。

彼らはカテゴリとしては、『純ゲーム実況生主』ってより『ゲームをやる雑談系生主』ってところになるだろうか。いずれも自分と同い年、三十男の生主だったと記憶している(知名度と実績は自分とはダンチですが)。背伸びせずとも三十の大台が見える、というのはやはり皆何か思うところがあるもんなんだろうか。

彼らは、理由は様々なれど、開始から約三年で放送を休止したことになる(よっさん、おそらくもう帰ってこないんじゃないかと思うんだよねー)。三年、というのは何事においても節目だ。千日修行と言って、ぴっかぴかのド新人が最初期の修行を一通り終えるのがおおよそ三年と言われていて。つまり、何か物事を継続していると自身を取り巻く状況が三年前とは変わるってことで、そう、変わるんだけれども、やはり動かしがたい現実ってのも厳然と存在していて、それを前に立ちすくんでしまうものなのかもしれないな。例えトップクラスの支持者数を誇る人気者であっても。


要は、「ゲーム実況じゃ食えない」という断崖にぶち当たるんじゃないか、ということだ。


ゲーム実況は、楽しい。楽しいのだけど、如何せん凝り始めると趣味としては時間と手間がかかりすぎるのだよなぁ。もう余暇もへったくれもない話。激務から帰った後、強強打破を常備して一徹で動画編集に励むなんて猛者もいるほどだ。趣味も深入りしずんば現実逃避となりにけり、ゆえに実況者ってやつは「これで食ってけねぇもんかなー」と一度はその道筋を考えるんだな(よね?)。


しかし、現実はそうもいかない。

なぜか?

これは当たり前の話ではあって、『ゲーム』という媒体が基本的に人様からの借り物であるからだ。いわゆる著作権関連の問題は既に様々な場で語り尽くされているので、ここでは触れない。

まぁとりあえず、そこはかろうじてクリアした(あるいはぶっちぎった)としよう。

越えるべきヤマはまだある。

そのヤマとは、以前、某有名実況者が語っていたことで、自分もその通りだと思うんだけど、「作品や放送をつくる行為そのものは利潤を一切生まない」のであるから、金出してくれるところに「ビジネス【売り込み】をしなきゃいけない」と。

これはもう企業様に奉仕するか、乞食と罵られようと個人情報を晒す覚悟で、ブルジョワジーなタニマチをつかまえるしかないわけなんだよね(クリエイター推奨プログラムなんて公式タニマチシステムもあるにはあるが、オリジナルという大前提を踏まえれば主に作曲投稿者か、それに絡む映像投稿者くらいにしか有用でない)。

それでも、両者とも存在しているのも事実。

前者に関しては、独立してリスク背負ってやってるなんて豪気な先駆者もいて、彼らにはもう、素直に称賛喝采の言葉しか出てこないわけなんだが、時には心底どうでもいい、下手すりゃ憎んでさえいる企業様からの仕事しかない場合だってあるだろう。仕事があるだけマシってものだが、如何せん自分の好きなタイトルだけを、好きなスタイルで、いつもの放送内で実況し続けられるわけじゃあない。そこはまぁ大人の世界の事情ってやつで、ただ実際問題として、それらを奪われたら途端に輝けなくなってしまう人は多い。

誤解して欲しくないので念のため説明しておくと、『輝けなくなる』というのは再生数・来場者数、ランキングや話題性が落ちる落ちないといった上辺の数字の話ではない。そういうことではなくて、例えば公式放送などの中立的な空気の中に目当ての実況者が放り込まれた途端、「あれ?この人別に面白くねぇな…」と観る者が気付いてしまう、というようなことである。

ついでにこの機会に言っておくと、面白ければリアルタイムで『絶対に』再生数・来場者数が伸びるなんてのは大嘘なんであって、そもそも面白さの定義なんていうのは実に曖昧なものなんだ。難解なギャグやパロディは、例えそれが腹を抱えるほど面白いとしても通じる人にしか通じないのだし、大声絶叫や本能的なリアクション、ある一定のトーンでのみ字面を追うなんてのは何の捻りもないけれども、単純かつ明快だからこそ多くの人間に届く。長期的に、かつコンスタントにやり続ければリピーターは増えるもので、内容を問わず初動の爆発力は否が応にも増してゆく。やらなきゃ減る。あとは、タイミング。

でね、結局のところニコニコで伸びるかどうかというのは、『賛辞にせよ批判にせよコメントで騒ぎ続ける人がいかに多いか(作る側からの論理だといかにその機会を増やすか)』というにぎやかしさに尽きる、ように思う(シリーズものに関しては、第一話がランキングにどこまで高く食い込むかがほとんど全てと言える。内容や質じゃなくて、あくまで再生数だけに関して言えばだよ)。

だから、『もっと評価されるべき』の評価などというものは実にいい加減なものだってこと。その時に伸びたものがより長くより多く語られてゆく、とは限らない。長くなるので詳細は割愛するけれど、明治大正期から昭和にかけて、森田草平というお騒がせな人気作家(しかも漱石の弟子だよ)がいて、『煤煙』なんてさ、当時の超ヒット作を執筆したわけなんだけど、みんな知ってる?

伸びることと残ることは、本来別軸なのだ。

無論、両軸を高い水準で兼ね備えている作品はあるし、場当たり的な作品であっても多くの人に見られることでより長く残っていく可能性が高まるのは言うまでもないことだ。


閑話休題

そんなこんなで、ゲーム実況に限らない話、継続的に高い身銭切っても惜しくないほどのクリエイティブな才能、あるいは観る者を圧倒するパフォーマンスを持った人間なんて、そう多くない。ただ、例えそうでなくとも盛り上がったり面白かったりする動画や放送は、間違いなくあるわけだ。

それはコメント量による影響力に左右されやすい仕様を組み上げた、ニコニコ動画の功罪(運営側としては狙い通りのはずだ)とも言える。観る人々が『時代』や『伝説の始まり』を取捨選択し、その神輿を持ち上げる。その神輿に座すための動画や放送が、日々大量に生み出される。


終わらない夏祭り。

ある面ではそれで良い。それで良いではないか。

現代社会はかくも実務ばかりが重要視され、無駄が徹底的に削られ、豊かになっているはずなのが人の心は荒野のごとく荒れ果て痩せ細ってゆくばかり、そんなこのご時世においてよ、毎日あれだけの数の作品や主が世に出ていること自体は本来歓迎すべきことである。

無駄とも言えるほどの過剰な量産こそが文化を生むのだから。

そして、その豊饒で無慈悲な熔鉄の海を泳ぎ切り、鍛え抜かれたごく一部の鉄だけが、時には強大な槌と化して視聴者の腹筋や涙腺を打ち壊し、時には抜き身の恐るべき妖刀と化して視聴者や世の欺瞞をバッサバサと斬って捨てていく、そんな稀代の傑作へと昇華され、匠の名と共に称えられ、時を超えてゆくのだ。


しかし、自戒を込めて敢えて言う。

クリエイトを生業にしようとしている人間であるならば、著作権のことその他諸々の問題を、誰よりも敏感になって考えてかないといけないはずだよなとも、自らがそういう業界で食うことを本気で目指し始めてからつとに思うのだ。

さて、これからどうするべきなのか。


と、いうことで、何が言いたいかっていうと、自分も潔く動画消すべきだよなぁ…でもなぁ…と泣く泣く迷ってるっていう、ひっでぇえオチ。

−ついでに言うと、どこへ向かっているのか訳分からないこのブログのヘッダー画像もプロフ画像も、アウトなんだな実際−

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